NHK FMの番組にお付き合い頂いていた方は別として、Summer Soulって?という向きも、いらっしゃることと思います。というのも、コレは一般的にジャンルとして確立されている区分名ではなく、あくまでも私個人が、そう名付けて、番組で特集を組んできた分類名?なのです。分かり易く日本語で言えば、夏色のソウルミュージック。基本的には、先月の記事にした雨の日向けのソウルミュージックと同様、独自のシーズン企画として番組スタート当初から20年、ほぼ毎年、この特集を組んでお届けしてきたので、つまりはOA曲だけでも悠に500~600曲を数え、選曲段階でのリストはといえば2000曲を超える膨大なものとなっています。仕事においては毎夏毎に、その年の新譜を交えた新鮮なセレクションをしてきましたが、20年分の膨大なリストを振り返って、そこからSummer SoulのCream Of The Cropともいうべき厳選リストを作成することは、休業後の自らに課した、いわば“ご褒美”ミッション。
続いては、Isley同様、長い歴史を誇り、今も現役のKool & The Gang、74年のアルバム『Light Of Worlds』からのシングルヒット「Summer Madness」。GangstarrにJazzy Jeff & Fresh Prince、Erykah BaduにDonell Jonesと本当に数多のヒップホップ・スターにサンプルされ続けて、若い世代にも広く親しまれている名曲です。
いきなりに私事で恐縮ですが、6月は心身共に絶不調のままに月末を迎えてしまいました。免疫系の難病を抱える身でコロナ禍を生き延びるということが茨の道であることは当初から分かっていたことではあるけれど、此処へ来て、覚悟していた以上の厳しさを増してきてしまいました。世界的にもデルタplus株を始めとする変異種の急速な感染拡大が進む中での五輪強行。健常者でも不安を拭えない人が、かなりの数に登るようですが、既往症を抱える人間に、この現状が齎す不安とストレスは計り知れないものなのです。いよいよ希望が見えなくなってきて、鬱の闇に引きずり込まれてしまいそうになることさえもしばしば。そういえば、気づけば心の底から大笑いすることも、めっきりなくなってきたような…と、そんな時に、ふと思い出したのがTV朝日系の深夜番組『タモリ倶楽部』の人気ミニコーナー、“空耳アワー”。TVで好んで観て居たのは随分昔のことで、そもそもニュース以外の地上波を観なくなって久しいので、現在も放送が続いていることを知って驚きましたが、昔観て大笑いしたネタを、どうしても、もう一度観たい!と思ってしまった私としては、頼るべきはYoutube。 試しにチョット検索してみたら、コレが凄いUp数! むしろ有り過ぎで、ピンポイントで探すのが至難の技。ネタ元のアーティスト名と曲名が分かっていれば難なく見つけられるところが、残念ながら15年以上前の記憶で、R&B系の人気処ということしか覚えておらず。もはや、片っ端から昔の作品集を観て探す他はないと探し始めるも、なかなか見つからず。もちろん、この捜索過程に於いても大爆笑の嵐で、まぁ、“心の底から大笑いする”というミッション?は十分達成できたものの、他のネタで大笑いすればするほど、どうしても!という思いが強くなるというもの。半ば諦めかけながらもダメ元でーと、“空耳アワー”の後に、ハッキリと覚えて居たキーワードを打ち込んでみると、驚いたことに見事一発で発見に至りました。そのキーワードはといえば、“柳原中学校”。コレで出てくるなんて!という驚きと共に、コレをしっかりUpしてくれた人が居たことが、とても嬉しい驚きでした。というのも、他のネタに較べれば、かなり地味ネタなんです、はい。でも、私的には15年以上も忘れられなかった、ツボにハマったネタだったので、共感という意味で甚く感激しました。ネタは、90s以降のR&Bシーンで栄華を極めた人気スターのUsher、2001年の「Good Old Ghetto」。Usherの当時のR&B界での立ち位置や音楽世界をよく知る人間にとっては、コレは、もう強烈な空耳で、空耳スタッフ制作による見事な映像と相俟って、抗えない笑いを齎してくれたものです。今は亡きパートナーの中尾と、仕事の合間に観ていたのですが、基本的にTVに全く興味を示さなかった彼も、涙まで流して大笑いしていたという、初観の時のシチュエーションまでが鮮明に蘇り感無量になりつつ、その後も何度もリピして楽しんでいます。
桜も藤も丸1ケ月前倒しで見頃を終えてしまったと思ったら、やはり、雨の季節の到来を告げるこの花も既に満開に。私としては、緑薫る大好きな季節を実感できた日々があっけなく終わってしまい、正直、幼少期から大の苦手な梅雨の早期到来に気落ちしているところですが、思えばNHK FMの番組を始めて以来の20年は、この時季の憂鬱を余り感じることなく乗り越えてくることができていました。そもそも、あらゆる場面で大好きなSoulmusicに救われ続けてきた人生ではありますが、季節の憂鬱という、なんともモヤっとした、この憂鬱を長らく克服できてきたのは、番組で毎年のようにOn Airを重ねてきたシーズン企画の特集“Soul For Rainy Days”のお蔭に他なりません。
もちろんSoulという音楽に限らず、雨は、あらゆる芸術作品において演出、表現の効果的な手段として多々使われている訳ですが、それにしても、soulmusicに於ける雨が綴られているナンバーは、驚くほどの数に登ります。分かり易くタイトルからして”Rain”が記されているものだけでも、かなりの曲数がありますが、歌詞レベルでとなると、もう本当に枚挙に暇がありません。しかも、Classic Soulはもとより、今に至るまで新たな名曲も生まれ続けているので、毎回、特集にあたっては、限られた時間内でのOA曲を絞り込むことこそが何より悩ましく、その悩みが年を重ねるに連れて大きくなっていったというのが正直なところ。このことからも、その曲数をお察し頂けるかと思いますが、実に、この長年重ねてきた悩み深き選曲の作業が、免疫系の持病持ちでコロナ禍を生き延びることに必死な今に於いては、意外にも大きな喜びを私に齎してくれて居て、まさに目下は、番組の為に作り上げたPC内の選曲リストから、今の自分に響く雨の季節の為のナンバーを更に絞り込んでの選曲を楽しんでいるところです。言ってみれば、自分なりの雨の日ソウルのcream of the cropのようなリストを作成中なのですが、それは、まるで、ラジオの仕事を始める以前の30年以上も前、自分にとって音楽が、純然たる趣味でしかなかった当時に、ダブルカセットデッキを使ってお気に入りのナンバーをテーマ別に選りすぐってはオリジナルのテープを作っていた、その作業の悦びを思い出させてくれています。但し、これをラジオでお届けすることが叶わないという現状にこそ、また新たに大きなストレスを感じてしまっているというのが唯一にして大いなる難点ではあるのですが…(苦笑)
ちなみに私が今、このcream of the cropを選んでいるsourceはといえば、番組制作をPCで行うようになった2010年以降の10年分のリストからで、残念ながら99年からのアナログ制作時代の10年間分は、リストアップされては居ないのですが、PC内の10年分のリストだけで、ざっと数えただけで計100曲オーヴァー。いやはや、思っていた以上に有りました。折しも、ソウルという枠を超えたポピュラーミュージックに於ける雨と言えばの名曲中の名曲、「雨に唄えば」の世界的ヒットで知られるB.J. Thomas(実は彼もゴスペル畑のシンガー)の訃報も伝えられましたこの折に、ソウルファンの皆さんには、是非とも雨のsoulmusic、それぞれのお気に入りのsoul for rainy daysにでも想いを馳せてみて頂ければと思います。
そもそも私が番組で雨の日ソウルの特集を組もうと思ったキッカケはといえば、Classic Soulの雨の名曲たち。ここでUpした2曲の他に、Ann Peeblesの「I Can’t Stand The Rain」、Brook Bentonの「Rainy Night In Georgia」、The Temptationsの「I Wish It Would Rain」などがあります。また、もう少し新しいところーとはいえ、これらも既にClassicというところでは、Princeの「Purple Rain」、SWVの「Rain」辺りでしょうか。なお、Love Unlimited Orchestraの「Walking In The Rain With The One I Love」については、まるで映画仕立ての素敵なプロモVideo Clipを観た記憶が確かにあるのですが、youtubeには、どうしても、それを見つけることができず。代わりに世界の色々な方々が、この曲に合わせて自作したと思しき映像作品が幾つかupされていて、やはり、コレ、映像を付けたくなるナンバーなんだなぁとつくづくでした。
Soulという音楽は決して大袈裟ではなく、私の人生そのものであり、生き様やスピリットという意味においては、私という人間そのもの−とさえ思うに至っていますが、それでも、心の故郷は?と問われれば、一切の迷いなくHawaii―と答えます。Hawaii同様に滞在したことがあるNYでもNJでもLAでも無くAMSでもなく、Hawaiiであり、それは初めて、かの島を訪れてから40年を経た今も変わることがありません。もちろんSoulに心酔してからというもの、メインランドのSoul City各地に想いを馳せ、シカゴやニューオーリンズ、メンフィスやフィラデルフィアといった未踏の街に強く惹かれてきたこともありますが、“心の故郷”と言えばHawaiiであり、コロナ禍が長期化する中では郷愁が募るばかり。今や様々な形で、かなりヴァーチャルな“イメージトリップ”が楽しめるようになってきてはいますが、私にとって最良の手段は、やっぱりFMラジオ。それこそ、昔は海外へ赴く度にFMラジオをカセットに録音して持ち帰り、帰国後にも現地に住む友人に録音テープを郵送して貰うなどして楽しんでいたものですが、なんと今や、ネットで、世界各国、各地のFM放送を楽しめるようになっている時代!幾つかの方法があるようですが、私が使用しているのは、“OO tunes”というアプリ。初回のみ約5ドル(約620円)が掛かりますが、それだけで、アメリカ各地の提携ラジオ局のOAが、ずっと無料で楽しめるのです。しかも、タイムラグも半日〜1日程しかありません。このアプリを通じての、とても嬉しい出会いが、Hawaii 105 kine でした。
私が、このステーションを好んで聴いている時間帯は、朝から昼下がりにかけてなのですが、まず、基本的に音楽が主役のmore music less talkスタイルで、なんと言っても選曲が素晴らしい。Classic Hawaiianから、今、かの島で流行中のPopsまで、満遍なく実に自然な流れで次々と聴かせてくれるし、その選曲にしても“ゆったりとした時間の流れ”を感じさせてくれるもので、とても癒されます。また、新たな発見や改めての見解に至ることも多く、飽きることなく楽しめて居ます。例えば、まるでヨーデル?と思える曲が良く掛かっていて思わず顔が綻んでしまったりするのですが、そもそも古からのHawaiianの唱法にヨーデル的な唱法があったということに思い至ったり。まぁ、そもそも彼の島にはハワイアンだけでなく、JazzやSoul、AOR、Soft RockにReggaeなど、豊穣な音楽土壌が有り、改めて、そうした多彩な音楽性に感じ入ることしきりです。
そして、ことHawaiiに於けるSoulということで言えば、日本のソウルファンには余り知られて居ないかと思いますが、実は、Hawaiiにも70年代頃からSoul musicを体現するローカル・アーティスト達が相当数居て、知られざる名盤の宝庫なのです。約5年程前にホノルル在住のDJでRecord Diggerとして名を馳せるRoger Bongが始動した気鋭のレーベル、その名もAloha Got Soulは、その事実を知らしめてくれた好例で、このレーベル発足当時は世界中のリイシュー・シーンでホットな話題となりました。このレーベルからの発掘音源からは、まさに隠れ名盤の筆頭ともいうべきMike Lundyの80作『Rhythm Of Life』の収録曲「Love One Another」や、大半が世界初CD化、初リイシューとなる珠玉のHawaiian Soulのレア・チューンをコンパイルしたリイシュー・コンピ盤『Aloha Got Soul, AOR & Disco In Hawaii 1979~1985』に収録されたTender Leafというグループによる82年のセルフタイトル作からのナンバー「Countryside Beauty」などNHK FMの番組でもOAしましたが、これらは私の大のお気に入り。まるで、適度なモイスチャーを含んだ、爽やかで優しい、かの島の風のような趣があって、やはりHawaii産のSoulならではの魅力に溢れています。
異例ずくめとなったバイデン大統領の就任式で国家斉唱をしたのはLady Gaga。その際、使われたマイクが24金製というニュースが日本でも広く報じられていましたが、24金マイクといえば、先人が。レコード針で有名なメーカー、Shure製の24kマイクをトレードマークに展開する超“豪華な“Pass The Mic“ショウで実に華々しい大活躍を続けるDJ Cassidy。おそらく日本での知名度は、かなり限定的ながら、本国アメリカでは知る人ぞ知るスーパーDJです。そして、果たして彼も、この就任式で祝演を捧げていました。自身が展開する独自のショウ形式=“Pass The Mic ”で、Earth Wind & Fireの「Sing A Song」をVerdine White、Phillip Bailey、Ralph Johnsonの面子で聴かせ、繋げてはNile RogersとKathy Sledgeが登場。Sister Sledgeの「We Are Family」をロサンジェルス合唱団とワシントン合唱団、更にはTriumph バプティスト教会の聖歌隊と共に熱唱するという極めて壮大で華やかなセットです。因みに、このショウは就任式の翌日にはYoutubeにUpされているので是非チェックを!
DJ Cassidyは81年、NYはUpper East Side生まれ、父親はCindy Lopperなどを擁するタレント・エージェンシーを営むJonny Podell。つまりは、生来のエンタテイメント・セレブ。幼少期より所謂Hiphop小僧で、10歳の誕生日ギフトは、ターンテーブル2台とミキサーだったという早熟ぶり。ティーンエイジャーのパーティや学校の祝祭などでDJとしての活動をスタート。ハイティーンともなるとナイトクラブに舞台を移し、マンハッタンの著名なクラブLotusの地下で行われて居たGQのパーティで夜10時から早朝4時までのシフトで回して居たところをSean Puffy Combsに見出され、そこから一気にハイソな表舞台へ。Jeniffer LopezにBeyonce、Kim Kardashianらの結婚式を始め、GrammyのパーティにMTVアウォード、Opra Winfreyが南アで立ち上げた学校の開校式、更にミシェル・オバマ前大統領夫人の50歳の誕生パーティなどなど、眩いばかりのキャリアを重ねてきた、もはやカリスマ的存在。Hiphopが、そもそもはストリートが育んできたものであることを思えば、Cassidyは出処からして全くの異色の存在な訳で、そういう意味で別物として捉える向きも居そうですが、good grooveにはセレブとストリートの別無し!と、つくづく。その選曲を聴けば、彼の音楽の引き出しの豊かさ、充実ぶりに驚くばかり。約半世紀近くをブラックミュージックに心酔して、この音楽と共に−というより、この音楽の中に生きてきた私ですが、これが自分の子供世代のDJの選曲なの?!と耳を疑いたくなる程で、まさにlate 70s以降のブラックミュージックのcream of the crop!です。
そして、なんと言っても驚くべきは、Pass The Micという、その革新的なショウ形式。なんとCassidyが次々と繋げていく音源の主達が、リモート・リレー形式で登場して生で歌うというもので、今もしっかり現役の往年のスター達が、かなり素の状態で自宅から生歌を披露してくれちゃったりするので、往年のファンには感涙モノ。しかも、イントロ部分を使ってのCassidyとの生なやりとりから、誰もが嬉々として参加している様が伝わってきて笑顔になれます。それにしても−なCassidyの人脈。Earth Wind & Fireの面々にGeorge Clinton、Ray Parker Jr.にTeddy Rileyなどビッグネームから知る人ぞ知るミュージシャン、シンガーが次から次へと登場。嬉しい驚きの連続です!
Barry大躍進の年、1973年の大ヒット曲としては、Love Unlimited Orchestraによる「Love’s Theme」。日本でもテレビCMに起用され、「愛のテーマ」の邦題で広く親しまれてきた全米No.1ヒット。そして、Barry自身のデビュー ヒット「I’m Gonna Love You Just A Little More Babe」。R&BチャートNo.1、Popチャートでも3位をマークした大ヒット曲で、こちらも「募りゆく愛」という邦題がありました。
さて、Barryが、こうした成功への足掛かりを作った彼のプロデュース作品はといえば、Love Unlimited による72年のスマッシュヒット「Walking In The Rain With The One I Love」。 退社際の女性達が交わす別れの挨拶、突然に降り出す雨のオトーと、イントロからしてストーリー性に溢れたBarry一流のドラマティックな演出が余すところなく発揮された1曲で、Barry自身も曲中の電話の相手役として、さり気に出演しているこの曲は、日本でも「恋の雨音」の邦題で長年にわたって親しまれている名曲です。
当時のBarryにとっての最大の関心事は、オーケストラに有りました。 1973年、「I’m Gonna Love You Just A Little More Babe」のヒットでソロデビューを成功させた彼が、早速設立した念願のオーケストラ、それが、40人編成のLove Unlimited Orchestraでした。
リズムセクションが打ち出す肉感的なファンキー グルーヴの上をストリングスが舞い、女性コーラスやフルート、フレンチ ホーンなどが美しいメロディーを奏でる華麗なるシンフォニック ソウル。 ロマンティックな愛のムードをドラマティックに盛り上げる、このBarryの音世界は、瞬く間に広く人気を博しました。 まさしく“愛のマエストロ”として、彼は70年代にもっとも大きな成功を手にしたソウル アーティストの一人となったのです。 特に、ディスコ ブームが世界を席巻した70年代後半、見事、その波に乗ったBarryは、一躍、大スタートなりました。 Barry WhiteとLove Unlimited、それにLove Unlimited Orchestra―と、それぞれの名義でアルバムを次々とリリースしては、その、いずれに於いても、ベストセラーをモノにしていきました。 そんな上り調子時代のBarryの大ヒット曲として特筆すべきは、73年、R&Bチャート2位、Popチャートでも7位をマークした「Never Never Gonna Give You Up」。邦題「忘れられない君」。 74年、Love Unlimited Orchestraの「Love’s Theme」に続く2曲目の全米No.1ヒットとなった名曲「Can’t Get Enough Of Your Love」。邦題「溢れる愛を」。ファンの間では最も愛されて今に至る彼の代表曲の一つです。
−君のような女性は、この世にただ一人。こんなにも素晴らしい女性が二人と居るハズがない。僕は君だけのために生きる。君への愛は本物だ。君は僕の全てだから-と歌う「You’re The First, The Last, My Everything」。
そして、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しって言われるけれど、でもBaby、どうかな? 君とは幾度愛を分かち合い、愛の営みを重ねても飽きたらないのさ。ダーリン、君の愛なら幾ら有っても有りすぎなんてことはない-と歌う「Can’t Get Enough Of Your Love」。
果たして、Barryが打ち出した、こうした理想の恋人達は、見事に広く人々の心を捉えました。実は、Barryは高校時代から、所謂、“恋のご意見番”として、仲間内では大いに頼りにされていた存在だったそうです。そんなBarrryの“愛のマエストロ”ぶりが存分に堪能できるナンバーとしては、 76年のR&B14位のヒット曲「You See The Trouble With Me」 邦題「恋のトラブル」。 ―僕の弱みは、彼女なしには何もできないってことさ-と、自分の彼女を称える爽快なUpチューンです。
更に、77年、R&Bチャート1位、Popチャートでも4位をマークした大ヒット ナンバー、「It’s Ecstasy When You Lay Down Next To Me」邦題「エクスタシー」。Barryのセクシーな語りがフィーチャーされたこの曲のタフなグルーヴは、Mary J.Bligeを始め、ヒップホップや現行R&Bのアーティスト達にサンプリングされ続けて今に至りますが、今聴いても実に新鮮に響く1曲です。
The Moments ~ Ray Goodman & Brown オリジナル版の放送は2005年、8月19日
ロマンティックで甘く蕩けるような‘70sスイート・ソウルを聴かせてくれる名ヴォーカル・グループ、The Moments。Ray Goodman&Brownと改名して以降も活動を続けている大ウ゛ェテラン・グループです。The Momentsが結成されたのはアメリカ東海岸、NYに隣接するニュージャージー州。自らもシンガーとして活躍し、ベッドタイム ミュージックとして名高い「Pillow Talk」の大ヒットで、その名を知られる女性プロデューサー、Sylviaによって1968年に集められた3人組、それが、The Momentsでした。オリジナル・メンバーは、マーク・グリーン、リッチー・ホースリィ、それにジョン・モーガン。デビュー曲「Not On The Outside」がR&Bチャートで6位をマーク。今もソウル・クラシックとして名高い、この曲で、幸先の良いスタートを切ったThe Momentsでしたが、このオリジナルのラインアップは極めて短命で、2年後の1970年には、なんと3人全員がすっかり入れ替わっていました。新生モーメンツのラインアップは、ニュージャージー出身で、クリアーかつスムースなハイトーン・ヴォイスの Harry Ray、そして、南部ミシシッピー州出身、包容感溢れるふくよかな低音ヴォイスが魅力のAl Goodman、それに、ジョージア州出身、その個性的なファルセット・ヴォイスでエモーショナルに歌い上げる Billy Brownの3人です。いずれも20歳前半の若者でしたが、それぞれ10代の頃から様々なローカル・グループで歌って来た、そこそこのキャリアの持ち主達でした。この3人こそが、70年代に数々のヒット曲を放った人気グループ、The Moments, その黄金期を築き上げたメンバーに他なりません。
70年代前半、この新生The Momentsは、フィラデルフィアのThe Stylisticsや、シカゴのThe Chi-Lites等と共に、この時代のヴォーカル・グループの一大ブームを担う人気グループへと上り詰めました。70年にR&Bチャートで見事、5週連続でNo1に輝き、全米ポップチャートでも3位をマークして彼等の代表曲となった「Love On A Two Way Street」, 邦題「孤独なハイウェイ」は、そもそもはHarrry Rayが加入する直前にレコーディングされたナンバーでしたが、新生The Momentsが、これを歌い継ぎ続け、その後、Harryがリードを執った爽やかメロウな名曲「Look At Me」は75年にR&Bチャートで1位をマーク。
68年のデビューからの約11年間で25曲ものトップR&Bヒットを放ち、それらは70年代のブラックミュージックの専門(ソウル系)ラジオ・ステーションの定番となり、80年代以降は、そんな彼等による名曲の数々が、多くのシンガー達によってカウ゛ァーされるようになりました。Disco ブームが勢力を増した70年代後半、彼らの人気も徐々に下降線を辿り始めてしまいましたが、79年の秋。彼らは心機一転、シーンに戻ってきてくれました。レコード会社の移籍に伴い、グループ名をRay Goodman & Brown と改名しての再デビューを果たしたのです。ただシンプルに3人の名前を並べた、この新しいグループ名への変更は、実は、彼等の本意ではありませんでした。しかし、The Momentsというグループ名の権利を持っていた以前の所属レコード会社からの使用許可が下りなかったため、彼等は、名義の変更を余儀なくされたのでした。