異例ずくめとなったバイデン大統領の就任式で国家斉唱をしたのはLady Gaga。その際、使われたマイクが24金製というニュースが日本でも広く報じられていましたが、24金マイクといえば、先人が。レコード針で有名なメーカー、Shure製の24kマイクをトレードマークに展開する超“豪華な“Pass The Mic“ショウで実に華々しい大活躍を続けるDJ Cassidy。おそらく日本での知名度は、かなり限定的ながら、本国アメリカでは知る人ぞ知るスーパーDJです。そして、果たして彼も、この就任式で祝演を捧げていました。自身が展開する独自のショウ形式=“Pass The Mic ”で、Earth Wind & Fireの「Sing A Song」をVerdine White、Phillip Bailey、Ralph Johnsonの面子で聴かせ、繋げてはNile RogersとKathy Sledgeが登場。Sister Sledgeの「We Are Family」をロサンジェルス合唱団とワシントン合唱団、更にはTriumph バプティスト教会の聖歌隊と共に熱唱するという極めて壮大で華やかなセットです。因みに、このショウは就任式の翌日にはYoutubeにUpされているので是非チェックを!
DJ Cassidyは81年、NYはUpper East Side生まれ、父親はCindy Lopperなどを擁するタレント・エージェンシーを営むJonny Podell。つまりは、生来のエンタテイメント・セレブ。幼少期より所謂Hiphop小僧で、10歳の誕生日ギフトは、ターンテーブル2台とミキサーだったという早熟ぶり。ティーンエイジャーのパーティや学校の祝祭などでDJとしての活動をスタート。ハイティーンともなるとナイトクラブに舞台を移し、マンハッタンの著名なクラブLotusの地下で行われて居たGQのパーティで夜10時から早朝4時までのシフトで回して居たところをSean Puffy Combsに見出され、そこから一気にハイソな表舞台へ。Jeniffer LopezにBeyonce、Kim Kardashianらの結婚式を始め、GrammyのパーティにMTVアウォード、Opra Winfreyが南アで立ち上げた学校の開校式、更にミシェル・オバマ前大統領夫人の50歳の誕生パーティなどなど、眩いばかりのキャリアを重ねてきた、もはやカリスマ的存在。Hiphopが、そもそもはストリートが育んできたものであることを思えば、Cassidyは出処からして全くの異色の存在な訳で、そういう意味で別物として捉える向きも居そうですが、good grooveにはセレブとストリートの別無し!と、つくづく。その選曲を聴けば、彼の音楽の引き出しの豊かさ、充実ぶりに驚くばかり。約半世紀近くをブラックミュージックに心酔して、この音楽と共に−というより、この音楽の中に生きてきた私ですが、これが自分の子供世代のDJの選曲なの?!と耳を疑いたくなる程で、まさにlate 70s以降のブラックミュージックのcream of the crop!です。
そして、なんと言っても驚くべきは、Pass The Micという、その革新的なショウ形式。なんとCassidyが次々と繋げていく音源の主達が、リモート・リレー形式で登場して生で歌うというもので、今もしっかり現役の往年のスター達が、かなり素の状態で自宅から生歌を披露してくれちゃったりするので、往年のファンには感涙モノ。しかも、イントロ部分を使ってのCassidyとの生なやりとりから、誰もが嬉々として参加している様が伝わってきて笑顔になれます。それにしても−なCassidyの人脈。Earth Wind & Fireの面々にGeorge Clinton、Ray Parker Jr.にTeddy Rileyなどビッグネームから知る人ぞ知るミュージシャン、シンガーが次から次へと登場。嬉しい驚きの連続です!
Barry大躍進の年、1973年の大ヒット曲としては、Love Unlimited Orchestraによる「Love’s Theme」。日本でもテレビCMに起用され、「愛のテーマ」の邦題で広く親しまれてきた全米No.1ヒット。そして、Barry自身のデビュー ヒット「I’m Gonna Love You Just A Little More Babe」。R&BチャートNo.1、Popチャートでも3位をマークした大ヒット曲で、こちらも「募りゆく愛」という邦題がありました。
さて、Barryが、こうした成功への足掛かりを作った彼のプロデュース作品はといえば、Love Unlimited による72年のスマッシュヒット「Walking In The Rain With The One I Love」。 退社際の女性達が交わす別れの挨拶、突然に降り出す雨のオトーと、イントロからしてストーリー性に溢れたBarry一流のドラマティックな演出が余すところなく発揮された1曲で、Barry自身も曲中の電話の相手役として、さり気に出演しているこの曲は、日本でも「恋の雨音」の邦題で長年にわたって親しまれている名曲です。
当時のBarryにとっての最大の関心事は、オーケストラに有りました。 1973年、「I’m Gonna Love You Just A Little More Babe」のヒットでソロデビューを成功させた彼が、早速設立した念願のオーケストラ、それが、40人編成のLove Unlimited Orchestraでした。
リズムセクションが打ち出す肉感的なファンキー グルーヴの上をストリングスが舞い、女性コーラスやフルート、フレンチ ホーンなどが美しいメロディーを奏でる華麗なるシンフォニック ソウル。 ロマンティックな愛のムードをドラマティックに盛り上げる、このBarryの音世界は、瞬く間に広く人気を博しました。 まさしく“愛のマエストロ”として、彼は70年代にもっとも大きな成功を手にしたソウル アーティストの一人となったのです。 特に、ディスコ ブームが世界を席巻した70年代後半、見事、その波に乗ったBarryは、一躍、大スタートなりました。 Barry WhiteとLove Unlimited、それにLove Unlimited Orchestra―と、それぞれの名義でアルバムを次々とリリースしては、その、いずれに於いても、ベストセラーをモノにしていきました。 そんな上り調子時代のBarryの大ヒット曲として特筆すべきは、73年、R&Bチャート2位、Popチャートでも7位をマークした「Never Never Gonna Give You Up」。邦題「忘れられない君」。 74年、Love Unlimited Orchestraの「Love’s Theme」に続く2曲目の全米No.1ヒットとなった名曲「Can’t Get Enough Of Your Love」。邦題「溢れる愛を」。ファンの間では最も愛されて今に至る彼の代表曲の一つです。
−君のような女性は、この世にただ一人。こんなにも素晴らしい女性が二人と居るハズがない。僕は君だけのために生きる。君への愛は本物だ。君は僕の全てだから-と歌う「You’re The First, The Last, My Everything」。
そして、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しって言われるけれど、でもBaby、どうかな? 君とは幾度愛を分かち合い、愛の営みを重ねても飽きたらないのさ。ダーリン、君の愛なら幾ら有っても有りすぎなんてことはない-と歌う「Can’t Get Enough Of Your Love」。
果たして、Barryが打ち出した、こうした理想の恋人達は、見事に広く人々の心を捉えました。実は、Barryは高校時代から、所謂、“恋のご意見番”として、仲間内では大いに頼りにされていた存在だったそうです。そんなBarrryの“愛のマエストロ”ぶりが存分に堪能できるナンバーとしては、 76年のR&B14位のヒット曲「You See The Trouble With Me」 邦題「恋のトラブル」。 ―僕の弱みは、彼女なしには何もできないってことさ-と、自分の彼女を称える爽快なUpチューンです。
更に、77年、R&Bチャート1位、Popチャートでも4位をマークした大ヒット ナンバー、「It’s Ecstasy When You Lay Down Next To Me」邦題「エクスタシー」。Barryのセクシーな語りがフィーチャーされたこの曲のタフなグルーヴは、Mary J.Bligeを始め、ヒップホップや現行R&Bのアーティスト達にサンプリングされ続けて今に至りますが、今聴いても実に新鮮に響く1曲です。
The Moments ~ Ray Goodman & Brown オリジナル版の放送は2005年、8月19日
ロマンティックで甘く蕩けるような‘70sスイート・ソウルを聴かせてくれる名ヴォーカル・グループ、The Moments。Ray Goodman&Brownと改名して以降も活動を続けている大ウ゛ェテラン・グループです。The Momentsが結成されたのはアメリカ東海岸、NYに隣接するニュージャージー州。自らもシンガーとして活躍し、ベッドタイム ミュージックとして名高い「Pillow Talk」の大ヒットで、その名を知られる女性プロデューサー、Sylviaによって1968年に集められた3人組、それが、The Momentsでした。オリジナル・メンバーは、マーク・グリーン、リッチー・ホースリィ、それにジョン・モーガン。デビュー曲「Not On The Outside」がR&Bチャートで6位をマーク。今もソウル・クラシックとして名高い、この曲で、幸先の良いスタートを切ったThe Momentsでしたが、このオリジナルのラインアップは極めて短命で、2年後の1970年には、なんと3人全員がすっかり入れ替わっていました。新生モーメンツのラインアップは、ニュージャージー出身で、クリアーかつスムースなハイトーン・ヴォイスの Harry Ray、そして、南部ミシシッピー州出身、包容感溢れるふくよかな低音ヴォイスが魅力のAl Goodman、それに、ジョージア州出身、その個性的なファルセット・ヴォイスでエモーショナルに歌い上げる Billy Brownの3人です。いずれも20歳前半の若者でしたが、それぞれ10代の頃から様々なローカル・グループで歌って来た、そこそこのキャリアの持ち主達でした。この3人こそが、70年代に数々のヒット曲を放った人気グループ、The Moments, その黄金期を築き上げたメンバーに他なりません。
70年代前半、この新生The Momentsは、フィラデルフィアのThe Stylisticsや、シカゴのThe Chi-Lites等と共に、この時代のヴォーカル・グループの一大ブームを担う人気グループへと上り詰めました。70年にR&Bチャートで見事、5週連続でNo1に輝き、全米ポップチャートでも3位をマークして彼等の代表曲となった「Love On A Two Way Street」, 邦題「孤独なハイウェイ」は、そもそもはHarrry Rayが加入する直前にレコーディングされたナンバーでしたが、新生The Momentsが、これを歌い継ぎ続け、その後、Harryがリードを執った爽やかメロウな名曲「Look At Me」は75年にR&Bチャートで1位をマーク。
68年のデビューからの約11年間で25曲ものトップR&Bヒットを放ち、それらは70年代のブラックミュージックの専門(ソウル系)ラジオ・ステーションの定番となり、80年代以降は、そんな彼等による名曲の数々が、多くのシンガー達によってカウ゛ァーされるようになりました。Disco ブームが勢力を増した70年代後半、彼らの人気も徐々に下降線を辿り始めてしまいましたが、79年の秋。彼らは心機一転、シーンに戻ってきてくれました。レコード会社の移籍に伴い、グループ名をRay Goodman & Brown と改名しての再デビューを果たしたのです。ただシンプルに3人の名前を並べた、この新しいグループ名への変更は、実は、彼等の本意ではありませんでした。しかし、The Momentsというグループ名の権利を持っていた以前の所属レコード会社からの使用許可が下りなかったため、彼等は、名義の変更を余儀なくされたのでした。