*天晴! DJ Cassidy !!

*天晴! DJ Cassidy !!

異例ずくめとなったバイデン大統領の就任式で国家斉唱をしたのはLady Gaga。その際、使われたマイクが24金製というニュースが日本でも広く報じられていましたが、24金マイクといえば、先人が。レコード針で有名なメーカー、Shure製の24kマイクをトレードマークに展開する超“豪華な“Pass The Mic“ショウで実に華々しい大活躍を続けるDJ Cassidy。おそらく日本での知名度は、かなり限定的ながら、本国アメリカでは知る人ぞ知るスーパーDJです。そして、果たして彼も、この就任式で祝演を捧げていました。自身が展開する独自のショウ形式=“Pass The Mic ”で、Earth Wind & Fireの「Sing A Song」をVerdine White、Phillip Bailey、Ralph Johnsonの面子で聴かせ、繋げてはNile RogersとKathy Sledgeが登場。Sister Sledgeの「We Are Family」をロサンジェルス合唱団とワシントン合唱団、更にはTriumph バプティスト教会の聖歌隊と共に熱唱するという極めて壮大で華やかなセットです。因みに、このショウは就任式の翌日にはYoutubeにUpされているので是非チェックを!

 DJ Cassidyは81年、NYはUpper East Side生まれ、父親はCindy Lopperなどを擁するタレント・エージェンシーを営むJonny Podell。つまりは、生来のエンタテイメント・セレブ。幼少期より所謂Hiphop小僧で、10歳の誕生日ギフトは、ターンテーブル2台とミキサーだったという早熟ぶり。ティーンエイジャーのパーティや学校の祝祭などでDJとしての活動をスタート。ハイティーンともなるとナイトクラブに舞台を移し、マンハッタンの著名なクラブLotusの地下で行われて居たGQのパーティで夜10時から早朝4時までのシフトで回して居たところをSean Puffy Combsに見出され、そこから一気にハイソな表舞台へ。Jeniffer LopezにBeyonce、Kim Kardashianらの結婚式を始め、GrammyのパーティにMTVアウォード、Opra Winfreyが南アで立ち上げた学校の開校式、更にミシェル・オバマ前大統領夫人の50歳の誕生パーティなどなど、眩いばかりのキャリアを重ねてきた、もはやカリスマ的存在。Hiphopが、そもそもはストリートが育んできたものであることを思えば、Cassidyは出処からして全くの異色の存在な訳で、そういう意味で別物として捉える向きも居そうですが、good grooveにはセレブとストリートの別無し!と、つくづく。その選曲を聴けば、彼の音楽の引き出しの豊かさ、充実ぶりに驚くばかり。約半世紀近くをブラックミュージックに心酔して、この音楽と共に−というより、この音楽の中に生きてきた私ですが、これが自分の子供世代のDJの選曲なの?!と耳を疑いたくなる程で、まさにlate 70s以降のブラックミュージックのcream of the crop!です。

そして、なんと言っても驚くべきは、Pass The Micという、その革新的なショウ形式。なんとCassidyが次々と繋げていく音源の主達が、リモート・リレー形式で登場して生で歌うというもので、今もしっかり現役の往年のスター達が、かなり素の状態で自宅から生歌を披露してくれちゃったりするので、往年のファンには感涙モノ。しかも、イントロ部分を使ってのCassidyとの生なやりとりから、誰もが嬉々として参加している様が伝わってきて笑顔になれます。それにしても−なCassidyの人脈。Earth Wind & Fireの面々にGeorge Clinton、Ray Parker Jr.にTeddy Rileyなどビッグネームから知る人ぞ知るミュージシャン、シンガーが次から次へと登場。嬉しい驚きの連続です!

*サザエとシャンパン、となればの… Barry White!

Barry White
Barry White

コロナ禍で近隣の駅ビル内に数件有ったプチプラの雑貨屋さんが一気に閉店して少なからず淋しく思っていたところ、秋になって生鮮食品(海鮮と肉と野菜)を扱うマーケットが開店。如何にもご時世だなぁと思いながら店内を覗いてみていると、なんと、 大好物のサザエが大量に並んでいる! 横浜から東京に居を移して以来30年余、マーケットや魚屋さんで活サザエにお目に掛かれることは滅多にない。しかも、かなりの安価だったので迷わず購入。実は、サザエには、亡き両親との思い出が沢山ある。信州の山育ちだったせいか海産物が大好きだった父親に連れられ、幼少期から休日には湘南や千葉、時には伊豆辺りまでドライヴして海の幸を家に購入して持ち帰り、母が料理の腕を振るって家族で食すということがしょっ中で、サザエは、その定番だった。私自身は生きている魚介類を触ることさえ苦手で、手際良くサザエを調理していく母の姿を側について感心しながら見ていただけだったが、今となっては“見て習った”状態で、尊敬と感謝の念が改めて湧いてくる。「サザエは、そのまま丸ごと網焼きにするのが一番」という向きも多いと思うし、私自身も時と場合次第で、それに倣うが、家で−となれば、やはり母の調理法を再現したくなる。ウォーターグリルで熱を加えた後、中身を取り出して切ってから殻に戻す。醤油とお酒を混ぜたものを注ぎ入れて再び焼く。グツグツいってきたら、三つ葉と柚子を乗せて、いざ戴く! 

そして、この御馳走のお供に選んだお酒はといえば、シャンパンだ。実は、6年ほど前に難病を発症して以来は、めっきり飲酒をしなくなっていたところが、コロナ禍のクリスマスに一杯くらいなら−と、輸入食料品店に足を運んでみると店先に山積みのシャンパンが。しかも、これまた信じ難い安価。なんとワンコイン! おそらくはコロナ禍の影響だろう。日本では長らくシャンパンで一般的に知られた銘柄といえばドンペリとモエくらいで、極めて贅沢なお酒という印象だった。実際、シャンパンを日常的に家飲みするなどというのは、余程のセレブか所謂パリピと言われるような人々と思われて久しい。私自身は、20代〜30代にかけて公私共に海外へ出ていることが多く、特に欧州滞在に於いては、このお酒が断然日常的で身近なものとして消費されていることを知ってはいたが、日本では所謂、ハイブランド以外の安価なシャンパンの一般的な流通が殆ど見られなかった。ところが、コロナ禍の昨年末には一気に状況が一変。酒店はもとよりスーパーやコンビニでさえ、コスパを実感できるようなシャンパンが大量に流通するようになっていて驚いた。まぁ、正しく言えば、安価で購入できるようになっているのはシャンパンではなく、スパークリング・ワインなのだけれど…。ともあれ、おっかなびっくりの数年ぶりの飲酒。極めて久々のシャンパンの酔いは、期待以上の悦びを齎してくれた。ひとことで言えば“華やかな”酔い。そして、その酔いの中で聴きたくなったのはーと言えば、他でもない、Barry White!

 “シンフォニック ソウル”と称される華やかで晴れやか。まさにゴージャスそのものな音世界がピッタリと来る。サザエとシャンパン、それにBarry Whiteで、幸少ないコロナ禍にあって、束の間、この世の悦楽を満喫できた一夜でした。是非、お試しあれ!

Barry White
ジャケ

The Soul VIPs Selection〜 Barry White

2003年、7月4日に惜しくも他界したSoul VIP。番組では、その訃報から、約ひと月後の8月12日にシリーズ特番『The Soul VIPs』で彼を取り上げてOn Airしました。NA台本に若干の加筆修正したものです。

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1970年代に一貫して愛をテーマにしたゴージャスかつロマンティックなヒットソングの数々を連発してDiscoブームの幕開けを華やかに彩ったBarry White。ソウルにオーケストラを導入した画期的なシンフォニック・サウンドをバックに聴かせる、とびきりセクシーな魅惑の低音ヴォイス。そして、まるで耳元で囁くかのような独特のスムースな語り口で、生涯を通じて1億枚のセールスを記録した世界的な人気者です。
1944年、9月12日にテキサス州はガルヴェストンに生を受け、生後1年も経たないうちに一家でLAへと移住。この地が彼にとっての生涯の地となりました。
ピアノ教師の経歴を持つ母親から多大な影響を受けたというBarryは、幼い頃から母親が聴いていたシンフォニーやソナタのレコードを熱心に聴き入っては、“音楽の神秘に魅了されていた”と言います。そんな彼を特に虜にしたのは、ヴァイオリンの奏でる美しい音色とメロディーでした。一方、幼くして近所の教会でゴスペルを歌っていた彼は、少年時代にはすでにクワイアの指揮を取るに至っていて、その後の夢を伺わせていました。
ところが、16歳の時、彼はその人生の大きな転機を迎えます。貧困と犯罪が蔓延する地区、サウスセントラルで育った彼は、当時はその荒んだ環境の中で、所謂、悪の道を突き進んでいました。
双子のようにそっくりだったーという弟と二人で無敵のタグ チームを組んで、喧嘩や窃盗に明け暮れる日々。そんな或る日のこと、高級車のタイヤを盗んでいたところを遂に御用となり、Barryは少年院送りとなってしまったのです。この時、彼は自らの将来について、じっくりと考え直しました。
― こんなことは、もう2度と嫌だ。犯罪から足を洗って、真人間になって人生を音楽に捧げることにしよう ―
Barryは、まさに一大決心をしたのです。とはいえ、その後の成功への道のりは、長く、険しいものでした。出所後、すぐさま音楽活動を始めた彼は程なく、ソングライター、アレンジャー、セッション ピアニストなど裏方としての仕事をこなすようになりますが、収入は一向に安定せず。高校時代からの彼女と若くして結婚したBarryは、60年代半ばには既に4人の子供の父親になっていました。家族を養う為、工事現場にバーガー屋に玩具屋と、あらゆる仕事を次々とこなしながら、Barryは、明日の成功、その夢を信じて懸命に日々を生きていました。
それから数年を経て、Barryが何曲か、そこそこのヒット曲を手がけるようになっていた1972年。彼自身が発掘した3人組の女性グループに歌わせた曲がスマッシュヒットを記録したことを受け、翌73年、Barry本人もシンガーとしてデビュー。
更にこの年、ついに彼は自らのオーケストラを組織して、自分のイメージするサウンド世界をトータルに構築する−という壮大なヴィジョンも実現させました。

Barry大躍進の年、1973年の大ヒット曲としては、Love Unlimited Orchestraによる「Love’s Theme」。日本でもテレビCMに起用され、「愛のテーマ」の邦題で広く親しまれてきた全米No.1ヒット。そして、Barry自身のデビュー ヒット「I’m Gonna Love You Just A Little More Babe」。R&BチャートNo.1、Popチャートでも3位をマークした大ヒット曲で、こちらも「募りゆく愛」という邦題がありました。

さて、Barryが、こうした成功への足掛かりを作った彼のプロデュース作品はといえば、Love Unlimited による72年のスマッシュヒット「Walking In The Rain With The One I Love」。
退社際の女性達が交わす別れの挨拶、突然に降り出す雨のオト­ーと、イントロからしてストーリー性に溢れたBarry一流のドラマティックな演出が余すところなく発揮された1曲で、Barry自身も曲中の電話の相手役として、さり気に出演しているこの曲は、日本でも「恋の雨音」の邦題で長年にわたって親しまれている名曲です。

Barryが60年代末に自ら発掘し、育て上げ、自ら命名してデビューさせた女性3人組、Love Unlimited。ちなみに、後にBarryの再婚相手となったクロウディーンは、このグループのメンバーでした。このグループをデビューさせた当初、Barryが描いていたヴィジョンは、“女性グループとオーケストラを共演させること”であり、“自分で歌おう”という発想は全く持ち合わせてはいなかったと言います。
“アーティストとして脚光を浴びることよりも、作曲、アレンジやプロデュースを手掛ける裏方のクリエイターの役どころに徹したい”―Barry自身は、そう考えていたというのです。しかし、“その類稀な低音ヴォイスを生かさない手はない”と周囲の関係者達が数ヶ月にわたってBarryを説得。遂に彼をマイクに向かわせたーという、そんなエピソードも残されています。

当時のBarryにとっての最大の関心事は、オーケストラに有りました。
1973年、「I’m Gonna Love You Just A Little More Babe」のヒットでソロデビューを成功させた彼が、早速設立した念願のオーケストラ、それが、40人編成のLove Unlimited Orchestraでした。

リズムセクションが打ち出す肉感的なファンキー グルーヴの上をストリングスが舞い、女性コーラスやフルート、フレンチ ホーンなどが美しいメロディーを奏でる華麗なるシンフォニック ソウル。
ロマンティックな愛のムードをドラマティックに盛り上げる、このBarryの音世界は、瞬く間に広く人気を博しました。
まさしく“愛のマエストロ”として、彼は70年代にもっとも大きな成功を手にしたソウル アーティストの一人となったのです。
特に、ディスコ ブームが世界を席巻した70年代後半、見事、その波に乗ったBarryは、一躍、大スタートなりました。
Barry WhiteとLove Unlimited、それにLove Unlimited Orchestra―と、それぞれの名義でアルバムを次々とリリースしては、その、いずれに於いても、ベストセラーをモノにしていきました。
そんな上り調子時代のBarryの大ヒット曲として特筆すべきは、73年、R&Bチャート2位、Popチャートでも7位をマークした「Never Never Gonna Give You Up」。邦題「忘れられない君」。
74年、Love Unlimited Orchestraの「Love’s Theme」に続く2曲目の全米No.1ヒットとなった名曲「Can’t Get Enough Of Your Love」。邦題「溢れる愛を」。ファンの間では最も愛されて今に至る彼の代表曲の一つです。

さて、Barry Whiteといえば、人々が真っ先に思い浮かべるのは、まるでヴェルヴェットさながらの質感を持つ、その魅惑的な低音ヴォイスでしょう。
本国での昔のインタヴュー記事によりますと、少年時代のある朝のこと、Barryは、突如として、あの声になっていた−んだそうです。
その朝、目覚め、その日の第一声を発したBarryは、自分の喉から発せられた、その声に自分でもビックリ! 何が起こったのか理解できず、怯えて母親を見やると、案の定、彼女の方も驚きの表情で、二人は一瞬、無言で見つめあってしまいました。しかし、次の瞬間、母親は微笑んだかと思うと涙を流して喜んだのだそうです。
−やっと息子が一人前の男になった−と。
こうして声変わりと共に、突如授かったという、このBarryの低音ヴォイスが語り、歌い紡ぐは、ズバリ、愛と官能のメッセージです。

ゴージャスかつロマンティックに、そして、何よりセクシーに愛のムードを盛り上げる彼の音楽―そこには、徹底的な女性への賛辞をベースに、おおしくも、常に紳士的で誠実な男の愛が、多く描き綴られています。

−君のような女性は、この世にただ一人。こんなにも素晴らしい女性が二人と居るハズがない。僕は君だけのために生きる。君への愛は本物だ。君は僕の全てだから-と歌う「You’re The First, The Last, My Everything」。

そして、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しって言われるけれど、でもBaby、どうかな? 君とは幾度愛を分かち合い、愛の営みを重ねても飽きたらないのさ。ダーリン、君の愛なら幾ら有っても有りすぎなんてことはない-と歌う「Can’t Get Enough Of Your Love」。

果たして、Barryが打ち出した、こうした理想の恋人達は、見事に広く人々の心を捉えました。実は、Barryは高校時代から、所謂、“恋のご意見番”として、仲間内では大いに頼りにされていた存在だったそうです。そんなBarrryの“愛のマエストロ”ぶりが存分に堪能できるナンバーとしては、
76年のR&B14位のヒット曲「You See The Trouble With Me」
邦題「恋のトラブル」。
―僕の弱みは、彼女なしには何もできないってことさ-と、自分の彼女を称える爽快なUpチューンです。

更に、77年、R&Bチャート1位、Popチャートでも4位をマークした大ヒット ナンバー、「It’s Ecstasy When You Lay Down Next To Me」邦題「エクスタシー」。Barryのセクシーな語りがフィーチャーされたこの曲のタフなグルーヴは、Mary J.Bligeを始め、ヒップホップや現行R&Bのアーティスト達にサンプリングされ続けて今に至りますが、今聴いても実に新鮮に響く1曲です。

一躍大スタートなった1973年以来、Barryは自分名義のアルバムと並行して、Love UnlimitedやLove Unlimited Orchestra名義での作品を次々と世に放ちました。実に、70年代末頃までは、年に二枚と言うハイペースでの作品リリースを続けていた彼でしたが、しかし、80年代に入る頃には、そのペースは落ち着きを見せ、ヒット曲も次第に途切れてしまいます。
そして、83年のこと、そんなBarryに更に追い討ちをかけるような悲劇が襲い掛かりました。
子供の頃、一緒に街で暴れていた最愛の弟のダリルが、些細なトラブルが原因で撃ち殺されてしまったのです。
8歳の頃から少年院を出入りしていた札付きの弟ダリルは、Barryが改心して音楽に人生を捧げると決意をあらわにして以降も、兄に習うことはなく、アウトロー人生をまっしぐら。大勢の景観を相手に多勢に無勢な喧嘩を買って、派手な立ち回りをやらかしてみたり、人質をとって銀行を襲うなど、まさしく、手のつけられない犯罪者へと負の成長を遂げていきました。

つまり、Barryの改心後は、全く両極の道を歩んできた弟だったわけですが、彼とBarryは極めて強い兄弟の絆で結ばれていたのです。まだBattyが名を成すよりも、ずっと前から、誰よりも早くその才能を見抜き、信じてくれていたのも弟のダリルだったといいます。
―Barryは、きっと音楽で大成功して人々に愛される存在となってミリオネアになる!そんなふうに言って、子供時代から常にBarryを激励し続けてきたのは、他ならぬ、この弟だったのです。共に育ち、とりわけ仲の良かった自分と弟―そんな兄弟二人の人生が、いったい何故、こんなにもかけ離れてしまったのかー
弟の理不尽な死に直面して、Barryは深い困惑に陥ってしまいました。

そんなBarryが、ようやく復活の兆しを見せ始めたのは80年代も末のこと。
89年には、久々にR&Bチャートでトップ10ヒットをマーク。
翌90年には、R&BチャートNo.1に輝いたQuincy Jonesによる「The Secret Garden」に客演を果たして再び脚光を浴びました。
丁度、この当時の彼は、日本でもJ-Waveの深夜帯の番組でナヴィゲーターとして、そのディープでゴージャスな語りを聴かせてくれたりもしていたので、ご記憶の方もいらっしゃることでしょう。

こうして90年代を通じて、彼の存在は益々クローズアップされていきました。シーンでは70年代を見直す動きが始まっていたこの当時、Barryの音楽抜きに、かの時代を語ることは不可能なことだったからーです。
若いヒップホップ世代のアーティスト達は、こぞって彼の往年のサウンドをネタとしてサンプルし、Barryの音世界を90年代の最新ストリート グルーヴとして再生していきました。また、NHK総合でも放映されて人気を博したアメリカの人気TVドラマ『アリー・マイ・ラヴ』には実名で登場を果たし、それまで彼を知らなかった新たなファン層を獲得するキッカケにもなりました。

Barry再評価の機運がピークに達していた99年位放たれたアルバム『Staying Power』―果たして、このアルバムは大ヒットを記録し、翌年にはBarryに初のグラミーを齎しました。しかも、一晩に2冠の栄誉でした。

熟年になって、いよいよ万事好調かと思われたBarryの人生でしたが、ところが、そんな矢先の2002年9月―長年患っていた高血圧による腎不全のためBarryは入院。厳しい闘病生活の甲斐もなく、2003年7月4日、Barry Whiteは58歳にして、その生涯の幕を閉じてしまいました。

生前、彼は、こんな言葉を遺しています。

― 私が何より愛する平穏と調和のフィーリング、それは、音楽と共に在る時に必ず訪れる。曲を書いていたり、録音したりしている時に必ず訪れるフィーリングさ。
自分が夢見る、美しく完璧な愛の世界のヴィジョンを、音楽を通して世界に広めたい ―

果たして、その音楽キャリアの生涯を、究極の“愛のムードメーカー”として生き抜いたBarry White。
そんな彼の音楽は、この世に愛を求める男と女が居る限り、未来永劫、世界中で広く愛され続けることでしょう。

The Moments〜Ray Goodman & Brown

The Moments Ray Goodman & Brown

所謂スイートソウル。この括りに於いても、VIPと称するべき名グループが何組も挙げられ、1組だけを選ぶなど至難の技ですが、私にとっての40年来のall-time favoriteであり、特にコロナ禍の今、また改めて、その素晴らしさに感じ入ることしきりのグループが、The Moments〜Ray Goodman & Brown。2020年の今聴いても、私が彼らの名曲に出会った時と同じか、もしくはそれ以上の感銘を覚えています。決して古臭くないにもかかわらず、また、あくまでも洗練された都会的なエレガンスを醸しているにもかかわらず、今、現在の音楽には求め得なくなってきた人肌の温もりを伝えてくれる歌世界で、その点に於いて、私の中で、他の追随を許さない、極めてスペシャルなグループです。

番組では、2002年2月に、Ray Goodman&Brownでの来日公演時に、Al Goodman、Billy Brown、Larry ‘Ice’ Winfreyの3名を取材。この取材では、このグループの歌世界、音楽世界の魅力が、彼らの人となりに直結したものであることを知ることができて、大いに納得したりもしたものです。特にAl Goodmanとの取材では、私も85年に3ヶ月を過ごしたことがあるNew Jerseyについての話で大いに盛り上がり、このNew Jerseyという土地柄もまた、彼らの音楽の魅力の大きな在処であることを改めて思ったりもしました。そんな訳で、Alが2010年7月26日に享年67で逝ってしまったという訃報は、とてもショックで、暫くの間、彼らの曲を聴くと、涙を堪えることが出来ませんでした。とはいえ、彼らの曲を聴いて涙が溢れるというのは、その当時に限ったことではなく、例えば、余りに美しい夕陽を見て溢れる涙―に近い涙は、何度となく私の頬を伝ったことがあるのですが、それとは別種の涙でした。

その後、2005年の夏には、番組のシリーズ特番『The Soul VIPs』で彼らを取り上げました。『The Soul VIPs』は、毎回ソウルミュージックの偉人にスポットを当てて、その音楽の魅力や輝かしい功績、またライフ・ストーリーや人物像などにも触れつつ、それぞれの足跡を辿る約1時間枠で、この番組の制作は、レギュラー番組の何倍もの労力と時間を要するものでしたが、パートナーの中尾と大いにやり甲斐を感じ、産みの苦しみも愉しみに変えて制作に当たることが出来た、私にとっても、スペシャルな特別番組でした。そんな訳で、以下、その『The Soul VIPs/The Moments~Ray Goodman & Brown編』でご紹介した彼らのストーリーの再校です。

The Soul VIps Selection 1
The Soul VIps Selection 1

『The Soul VIPS』 Selection

 The Moments ~ Ray Goodman & Brown
オリジナル版の放送は2005年、8月19日

ロマンティックで甘く蕩けるような‘70sスイート・ソウルを聴かせてくれる名ヴォーカル・グループ、The Moments。Ray Goodman&Brownと改名して以降も活動を続けている大ウ゛ェテラン・グループです。The Momentsが結成されたのはアメリカ東海岸、NYに隣接するニュージャージー州。自らもシンガーとして活躍し、ベッドタイム ミュージックとして名高い「Pillow Talk」の大ヒットで、その名を知られる女性プロデューサー、Sylviaによって1968年に集められた3人組、それが、The Momentsでした。オリジナル・メンバーは、マーク・グリーン、リッチー・ホースリィ、それにジョン・モーガン。デビュー曲「Not On The Outside」がR&Bチャートで6位をマーク。今もソウル・クラシックとして名高い、この曲で、幸先の良いスタートを切ったThe Momentsでしたが、このオリジナルのラインアップは極めて短命で、2年後の1970年には、なんと3人全員がすっかり入れ替わっていました。新生モーメンツのラインアップは、ニュージャージー出身で、クリアーかつスムースなハイトーン・ヴォイスの Harry Ray、そして、南部ミシシッピー州出身、包容感溢れるふくよかな低音ヴォイスが魅力のAl Goodman、それに、ジョージア州出身、その個性的なファルセット・ヴォイスでエモーショナルに歌い上げる Billy Brownの3人です。いずれも20歳前半の若者でしたが、それぞれ10代の頃から様々なローカル・グループで歌って来た、そこそこのキャリアの持ち主達でした。この3人こそが、70年代に数々のヒット曲を放った人気グループ、The Moments, その黄金期を築き上げたメンバーに他なりません。

70年代前半、この新生The Momentsは、フィラデルフィアのThe Stylisticsや、シカゴのThe Chi-Lites等と共に、この時代のヴォーカル・グループの一大ブームを担う人気グループへと上り詰めました。70年にR&Bチャートで見事、5週連続でNo1に輝き、全米ポップチャートでも3位をマークして彼等の代表曲となった「Love On A Two Way Street」, 邦題「孤独なハイウェイ」は、そもそもはHarrry Rayが加入する直前にレコーディングされたナンバーでしたが、新生The Momentsが、これを歌い継ぎ続け、その後、Harryがリードを執った爽やかメロウな名曲「Look At Me」は75年にR&Bチャートで1位をマーク。

68年のデビューからの約11年間で25曲ものトップR&Bヒットを放ち、それらは70年代のブラックミュージックの専門(ソウル系)ラジオ・ステーションの定番となり、80年代以降は、そんな彼等による名曲の数々が、多くのシンガー達によってカウ゛ァーされるようになりました。Disco ブームが勢力を増した70年代後半、彼らの人気も徐々に下降線を辿り始めてしまいましたが、79年の秋。彼らは心機一転、シーンに戻ってきてくれました。レコード会社の移籍に伴い、グループ名をRay Goodman & Brown と改名しての再デビューを果たしたのです。ただシンプルに3人の名前を並べた、この新しいグループ名への変更は、実は、彼等の本意ではありませんでした。しかし、The Momentsというグループ名の権利を持っていた以前の所属レコード会社からの使用許可が下りなかったため、彼等は、名義の変更を余儀なくされたのでした。

The Momentsとして長年、歌い続け、ファン達に親しまれて来た3人にとって、その名を失う事は、確かに大きな痛手には違いありませんでしたが、にもかかわらず、彼等は、この逆境をモノともせず、大成功を収めたのです。Ray Goodman & Brownの第一弾シングル、番組冒頭でお聴き頂きました「Special Lady」の大ヒットで、見事、シーンに返り咲いた彼等は、80年代の人気グループの仲間入りを果たしました。そんな80年代の彼らでしたが、ちょっと不思議なナンバーが存在して居ます。79年に改名したハズにもかかわらず、翌80年にThe Moments名義でポツリと12インチシングルで放たれた新曲「Baby Let’s Rap Now」です。この曲の正体はというと、彼等が、まだThe Momentsとして活動していた頃に録音していた未発表曲でした。つまりは、前のレコード会社が、彼等の人気再燃に便乗してリリースしたと思しき一枚です。

そんな不透明な背景が災いしてか、このシングルは全くヒットせず、それどころか、このレコードの存在自体が、一部の熱狂的なスイート・ソウル・マニア達の間以外では、ほとんど知られていません。しかし、その知名度に反して、実に素晴らしいレア・ナンバーで、爽やかなハーモニーと、メロウなグルーヴ感が絶妙にマッチして最高の心地好さを醸している、まさに、知られざる名曲です。この番組のオンエア当時では、それこそ、この曲は、ちょっとした目玉だった訳ですが、今や、youtubeでも聴くことができるようになって居ますので、是非チェックしてみてください。           

さて、The MomentsからRay Goodman & Brownへと生まれ変わり、80年代の幕開けと共に、第2の黄金期を迎えた彼等。82年には、Harry Rayがソロ活動を展開するため、一時、グループを脱退しましたが、3年後には復帰。しかし、92年、そのHarry Rayは、45歳という若さで、この世を去ってしまいました。残された2人は、長年の仲間であり、掛け替えの無い友人であったHarryの突然の死に、大きなショックを受け、暫くは、歌う気力を失っていた—といいますが、その後、以前にもHarryの代役を務めていた実力派シンガー、Kevin Owensを新メンバーとして迎え入れ、彼等は再び蘇りました。以降は、ライヴ活動を中心としているRay Goodman & Brown。そのライヴ・ショウの素晴らしさは、本国アメリカは勿論、ヨーロッパや日本のファン達の間でも有名でした。最高のハーモニー、粋なダンス、そして、優しく包み込んでくれるような、温かなハッピー・ウ゛ァイヴ。2002年の年明けに久々に行なわれた日本公演でもしっかりと披露してくれたその極上のパフォーマンスは、私だけでなく、会場に赴いた全てのファンの胸に鮮やかに、その感動を刻んでいることと思います。           そして、2010年にAlが逝ってしまってからは、91年から93年までRay Goodman & Brownで活躍し、2000年以降はThe Stylisticsのメンバーとして18年間に及んで活躍したEban BrownがBilly Brownと共に2014年4月にリリースされた『The Moments Greatest Hits』の再録に尽力。この2014年にはLarry ‘Ice’WinfreeがAlに代わる存在として正式にメンバーに復帰して、以降は、Kevin OwensとBilly Brownのトリオで活動を展開中です。